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AIで記事を毎日量産していると「自分で書いた気がしない」という感覚が出てきた——それでも続けている理由

はじめに|正直に言います、ちょっと後ろめたかった

5月に入ってから、毎日記事を公開しています。

SUNO、KlingAI、Todoist、AI副業の課金……。投稿数だけ見れば、かなりのペースで動いています。

でも、あるとき気づいてしまいました。

「自分で書いた感じが、ほとんどしない」

Claudeが生成した文章を確認して、少し手を入れて、公開する。このサイクルが定着したとき、なんとも言えない違和感が出てきました。これは「書いた」と言えるのか。読者にとって正直な作り方なのか。そもそも、これはズルいのか——。

今回は、その違和感と正面から向き合った話を書きます。きれいにまとめようとは思っていません。まだ完全に解消しているわけでもないので。

 

💜 Hiroroのひとこと

この記事、書こうかどうか結構迷いました。「AIを使っています」と公言しているブログで「AIで書いた気がしない」と言うのは矛盾しているようにも聞こえるから。

でも、同じようにAIで記事を書いている人なら一度は感じる感覚だと思って、正直に書くことにしました。

 

第1章|「書いた気がしない」の正体——何が変わったのか

違和感の原因を探るために、以前とのプロセスを比較してみました。

 

フェーズ

以前(AIなし)

今(AIあり)

① テーマ決め

テーマを考える、何を書くか自問自答する

テーマを決める(ここは変わらない)

② リサーチ

自分で調べる・メモする・整理する

素材・情報をClaudeに渡す・方向性を指示する

③ 執筆

自分でゼロから文章を書く

Claudeが「ゼロ稿」を生成する

④ 確認・修正

読み返して微修正

事実確認・加筆・削除・トーン調整(ここが核心)

⑤ 個人コメント

文中に自然に混ぜる

「Hiroroのひとこと」として必ず自分で書く

⑥ 公開

公開

公開(責任は自分にある)

 

表を作って気づいたのですが、①テーマ決め→⑥公開という流れ自体は変わっていません。変わったのは③の「執筆」の部分だけです。

でも、この「執筆」という行為が、ブログを書く行為の中で最も「やった感」を生み出していた部分でした。ゼロから文章を生み出すときの苦しさと達成感——それが今はほぼありません。

「書いた気がしない」の正体は、このプロセスの変化による達成感の消失だったと気づきました。

 

違和感①:「書く」が「確認する」に変わった

以前は、1本の記事を書き上げたとき、疲労感と達成感が同時にありました。

今は、Claudeが生成した文章を読んで「この部分を直そう」「ここは事実確認が必要」と判断する作業がメインです。それはそれで頭を使う作業ですが、「書いた」という感覚とは違う。

たとえるなら、自分で料理を作ったのか、シェフが作ったものに味付けをしたのか、という違いに近いかもしれません。

 

違和感②:文章への愛着が変わった

自分で苦労して書いた文章には、愛着があります。「この一文を何度も書き直した」という記憶が残っているから。

AIが生成した文章には、その記憶がありません。読み返したときに「これは自分の言葉だ」という感覚が薄い。

特に最初のころは、公開ボタンを押しながら「これは本当に自分の記事なのか」と自問することが何度もありました。

 

違和感③:読者への後ろめたさ

このブログはAI活用を前提にしているので、読者の多くはClaudeで記事を作っていることを知っています。むしろそれを見に来ている人も多い。

それでも、「完全にAIが書いた記事を公開している」ような感覚になるときがあって、読者に対してフェアじゃないんじゃないかと思う瞬間がありました。

 

💜 Hiroroのひとこと

「AIで書きました」と毎記事に書いているブログは少ないし、このブログはAI副業の話をしているので読者はわかっているはずです。

それでもなんとなく後ろめたかった。この感覚、論理的に説明できないんですが、しばらく続きました。

 

第2章|それでも続けている——理由を正直に整理した

理由①:「書いた気がしない」と「価値がない」は別の話

違和感が続いていたとき、あるシンプルな問いを自分に投げかけました。

「この記事は、読者の役に立っているか?」

KlingAIのウォーターマーク問題を書いた記事、Todoistで管理フローを変えた記事、SUNOのマンネリ対策の記事——。これらを読んで「参考になった」と思ってくれた人がいれば、その記事に価値があります。

「自分が苦労して書いたかどうか」は、読者にとってどうでもいい話です。手書きで作った地図より正確なナビの方が役に立つ——それと同じことです。

 

⭐ ポイント

コンテンツの価値はプロセスではなく読者への貢献度で決まる。

「書いた気がしない」という感覚は自分の問題であって、読者への価値とは別の軸の話です。

 

理由②:AIが書いているのではなく、AIを使って自分が書いている

「AIに書かせた」と「AIを使って書いた」は、似ているようで全然違います。

 

観点

「AIに書かせた」状態

「AIを使って書いた」状態

テーマ・方向性

AIに任せる・なんとなく出てきたものを使う

自分が決める・AIへの指示に意図がある

事実確認

しない・AIの出力をそのまま公開

必ず一次情報で確認してから公開

個人の体験・本音

含まれない・薄い

「Hiroroのひとこと」等で自分の言葉を入れる

公開への責任

曖昧・「AIが書いたから」と思っている

自分が責任を持って出している意識がある

読者への価値

情報の精度・信頼性が低下しやすい

編集者として質を担保できる

 

テーマを決めるのは自分です。どんな素材を渡すかを決めるのも自分です。Claudeの出力に対して「ここは違う」「この事実は正しいか確認する」「このトーンは自分らしくない」と判断するのも自分です。

Claudeは「筆を持ってくれる人」であって、記事の設計者・編集者・責任者は自分です。

この構図を意識するようになってから、違和感が少し薄れました。

 

💜 Hiroroのひとこと

実は「Hiroroのひとこと」のコーナーだけは、毎回自分で書いています。Claudeに下書きをお願いしたことは一度もありません。

このコーナーは自分の体験・感情・本音が宿る場所として、絶対に手を抜かないようにしています。ここが「自分の記事だ」と感じられる最後の砦というか……。紫のボックスを見てもらえれば、それが私の言葉です。

 

理由③:続けることそのものに意味がある段階にある

以前は、1本の記事を書くのに数日かかることもありました。テーマを決めて、調べて、書いて、修正して——という工程を全部自力でやっていると、どうしても時間がかかります。

今は毎日1本のペースで出せています。5月だけで20本以上。

「完璧な1本より不完全でも継続できる20本」という選択をしています。ブログは継続することで検索流入が積み上がる性質があります。品質を保ちながら量を出せるなら、それは純粋に良いことです。

「書いた気がしない」という感覚は、AIがなかった時代の「良い記事の作り方」のイメージに引きずられているだけかもしれない——と今は思っています。

 

第3章|違和感を和らげるために変えたこと

変えたこと①:「確認者」ではなく「編集者」として関わる意識

Claudeの出力を「完成品」として受け取るのをやめました。「ゼロ稿(最初の下書き)」として扱うようにしています。

雑誌の編集長が記者の原稿を受け取って直すのと同じ感覚です。原稿を書いたのは記者(Claude)ですが、その記事を世に出す判断と責任は編集長(自分)にある。

この意識の切り替えで、「確認している」から「編集している」という感覚に変わりました。地味な違いですが、自分の中では結構大きな変化でした。

 

変えたこと②:「Hiroroのひとこと」を絶対に自分の言葉で書く

先ほども書きましたが、このコーナーだけはどんなに時間がなくてもClaudeに任せません。

自分の体験、感じたこと、失敗した話、まだ試せていない正直な状況——これを自分の言葉で書く場所として確保しています。

このコーナーがあることで、「この記事には自分の言葉が入っている」という感覚を保てています。読者との「本物の接点」をここに集中させるイメージです。

 

変えたこと③:事実確認を必ず自分でやる

AIの出力は間違えることがあります。KlingAIの料金、SUNOの機能詳細、ツールの最新情報——Claudeが自信満々に書いていても、実際に公式サイトで確認しないと間違っている場合があります。

この確認作業を必ず自分でやることが、「自分が責任を持って出している記事」という感覚を保つ上でとても重要です。

確認して問題なければそのまま公開、問題があれば修正してから公開。この一手間が「AIに書かせた」と「AIを使って書いた」の実質的な分岐点だと思っています。

 

⭐ ポイント

「事実確認をするかどうか」が「AIに書かせた記事」と「AIを使って書いた記事」を分ける最大のポイントです。

確認をしない = AIの出力をそのまま流している = 読者への責任が曖昧な状態。

確認をする = 自分が編集者として質を保証している = 「自分の記事」と言える状態。

 

第4章|「AIで書く」とはどういうことか——今の自分の答え

4ヶ月ほどこのペースで記事を書いてきて、今の自分なりの答えがあります。

 

「書いた気がしない」は適応の遅れ

写真が普及したとき、「カメラで撮った絵は芸術じゃない」という議論があったそうです。ワープロが出たとき、「手書きじゃないと気持ちが伝わらない」と言われた時代もあったそうです。

「AIで書いた文章は自分の記事じゃない」という感覚は、それと同じ構造かもしれません。道具が変わると、最初は違和感がある。でも道具が変わっても、「何を届けたいか」という本質は変わらない。

「書いた気がしない」という感覚は、制作プロセスが変わったことへの適応の遅れだったのかもしれない——と今は整理しています。

 

大切なのは「何を届けるか」であって「どう作ったか」ではない

このブログを読んでいる人が知りたいのは、「HiroroがSUNOを実際に試してどうだったか」「KlingAIの課金はいくらかかるのか」「AIで副業を始めるとどうなるか」——そういった情報や体験です。

その情報を届けるために、AIというツールを使っています。道具が変わっても、届けたいものは変わっていない。

この整理ができたとき、「書いた気がしない」という違和感がかなり薄れました。

 

それでも、完全には解消していない

正直に書きます。この違和感、完全にはなくなっていません。

新しい記事を出すたびに、ふとした瞬間に「これは自分の記事か?」と問い直すことがあります。

でも、その問いかけを持ち続けることが、「AIに書かせるだけ」にならないための健全な緊張感だとも思っています。

完全に割り切れるより、少し引っかかりを感じながら続ける方が、結果的に良いコンテンツが出るんじゃないか——というのが今の感覚です。

 

💜 Hiroroのひとこと

この記事を書きながら、改めて「Hiroroのひとこと」の大切さを感じました。

どんなにAIが文章を上手に書いても、「失敗した」「まだ試せていない」「正直よくわかっていない」という私の実体験はAIには書けません。それを書くのが私の仕事で、それがこのブログのコアだと思っています。

AIで記事を作ることに迷いがある人がいれば、「Hiroroのひとこと」に相当するコーナーを作ることをおすすめします。そこだけは絶対に自分の言葉で。

 

まとめ|違和感は消えなくていい、引っかかりを持ちながら続ける

「AIで書いた気がしない」という感覚について、正直に書きました。

 

  • 「書いた気がしない」の正体は、プロセスの変化による達成感の消失
  • でもコンテンツの価値は「どう作ったか」ではなく「読者に届くか」で決まる
  • 「AIに書かせた」と「AIを使って書いた」は、事実確認・編集・責任の有無で分かれる
  • 「Hiroroのひとこと」だけは必ず自分で書く——これが「自分の記事だ」と感じる最後の砦
  • 違和感は完全に解消しなくていい。それが質を保つための健全な緊張感になる

 

AIで記事を書いていて同じような感覚を持ったことがある人に、少しでも参考になれば嬉しいです。

 

📘 次回予告

次回(5/25):もふもふ睡眠BGM 4週目レポート——修正月間の途中経過と今週の数字を公開します

ABOUT ME
hiroro-ailab
45歳からAI副業に挑戦中!派遣社員として働きながら、AIを武器に新しい人生を切り開くヒロロです。失敗も学びに変えて、リアルな挑戦を毎日発信中!
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